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ユダヤ教 ━ 安息日「シャバット」

安息日とは?

ユダヤ人が安息日を守る理由

安息日に禁止されていること

安息日の備え

ろうそくについて

祈り

安息日の夕べ 家庭での過ごし方

キドゥーシュ

パンとブドウ酒

安息日の一日

朝の祈り「シャハリート」

安息日の終わり方

★『やさしいユダヤ教Q&A』(ミルトス)もご参照ください★

■安息日とは?

 

 ユダヤ人の歴史を通じて、安息日(シャバット)はユダヤ人の生活の中心でした。7日を1週とする時の周期の最後の日(土曜日)、それは休息の日として知られています。しかし単なる休みの日に留まらず、ユダヤ教のもっとも大事な聖なる日なのです。日本人に分かりやすくたとえると、1週に1度「お正月」を迎えるようなことです。

 安息日がなければユダヤ教も存続せず、ユダヤ人の歴史も消滅していたことでしょう。ユダヤの格言に、「安息日がイスラエルを守った」とあります。一方、ユダヤ人は安息日を守るのに命懸けでした。現在も宗教的でない家庭でも、この日には家族で共に集い、共に食事をし、共に語らい、時には歌ったりして、ユダヤ人固有の伝統が伝えられています。親しい友人や知人を家庭に招待するのも、シャバットの過ごし方の楽しみとなっています。

 安息日は、ユダヤ人の暦の中でもっとも聖なる日だと考えられています。

 それは、いろいろの祝祭日がありますが、十戒に書かれているのは安息日だけだからです。また、安息日違反にはもっとも厳しい罰則が書かれているからです。ヨム・キプール(贖罪日)は、それを守らない者は民の中から追放されるだけですが、安息日に働いた者は「必ず殺されるであろう」と規定されています(出エジプト記31:15、35:2)。

 正式なユダヤ暦では、1日は前日の日没から始まり当日の日没で終わります。特に、安息日の場合、時間の計算間違いを犯さないために用心をして、少し早目に安息日の行事(ろうそくを点すことなど)を始めます。


■ユダヤ人が安息日を守る理由

 

 安息日は、旧約聖書にその起源が記述されています。

 まず、創世記2:1-3を見ると、「こうして天と地と、その万物は完成された。神は第7日にその仕事(メラハー)を完成された。すなわち、そのすべての仕事を終わって第7日に休まれた。神はその第7日を祝福して、これを聖別された」とあります。

 モーセの十戒の中には、安息日は第4番目に出てきます。

 「安息日を覚えて、これを聖とせよ。6日のあいだ働いてあなたのすべての仕事をせよ。7日目はあなたの神、主の安息であるから、何の仕事をもしてはならない。あなたもあなたの息子、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである」(出エジプト20:8-10)

 この十戒は、申命記5章にも繰り返して載っていますし、出エジプト記31:13-17にも、再び書かれています。聖書を開いてお読みください。

 安息日は、神が天地を創造したことを確認し、その神がユダヤ人の歴史を救ったこと、イスラエルが神の民であることを記憶する記念日なのです。いわば、神と人との交わりの日です。


■安息日に禁止されていること

 

 敬虔なユダヤ人は、旅行はもちろん、車に乗らず、料理は作らず、電気器具は使用せず(またはスイッチをさわらず)、お金は使わず、ペンも持たず、この1日を他の週日と区別します。

 さて、安息日に禁じられた仕事のことをメラハーと言いますが、その仕事(メラハー)が何かについて、聖書の中には、具体的にはわずかな例しか挙げられていません。耕すことと刈り入れ、あるいは火を焚くことなどです。

 タルムードは、39種類の仕事を禁止されたものとして挙げています。それは、荒野での幕屋(聖所)の建設に関係のある作業です。出エジプト記35章の安息の規定の後に、幕屋建設が書かれているので、その作業が禁じられた仕事だとラビたちは解釈したわけです。それから、さらに禁じられた仕事が拡大解釈されて、増えていきました。

 新約聖書の中で、イエス・キリストとその弟子たちが、安息日に禁じられたことをしたと非難されていますが、当時、安息日のおきてについてまだ未確定の部分が残っていて議論の余地があったようです。それでももちろん、安息日を守ることは宗教上最重要事であったことが、そのように福音書に反映しているわけです。

 安息日には火の使用が禁止されていますが、電気は火の一種と拡大解釈をする人たちがいるのです。厳密な解釈では、ラジオもテレビも電気製品も使用できません。

 一般的にスポーツや踊りは禁じられるといいますが、ある人たちは、安息日に喜びを添えるものだから野球や水泳などスポーツは許されると解釈します。ただし、控え目にという制限付きではありますが。

 正統派のユダヤ教徒なら、当然車は使用禁止です。しかし場合によっては許されると解釈する人が、保守派や改革派のユダヤ教徒にいます。シナゴーグに歩いて行ける距離にいない場合は、「安息日の礼拝を守ること」のほうが大切だという理由からです。

■安息日の律法を破っていい場合はあるか?

 これは、昔からラビたちが詳しく論じあってきました。

 例えば、投薬は許されるのか。粉をひくことが禁じられているので、薬の調合は禁じられ、さらに薬を用いることは禁じられました。したがって、一般的に医療行為も禁止事項に数えられていました。もちろん具体的には、議論の余地があります。

 子供の割礼式は、器具を運んだり包帯を巻いたりするにもかかわらず、安息日に許されていました。イエスは、ヨハネ福音書(7:23)でこの例を引いて、「まして人を癒すことが安息日違反になるはずがない」と主張しています。

 のちにラビたちは、生死にかかわる問題は安息日に優先するという結論を下しました。つまり、命を救うためには安息日を破ってもいいという律法ができました。何が何でも、安息日に労働禁止とか休息の律法を守れ、というのではないんですね。

 戦争のような場合も、「安息日です。戦闘はしません」では敵に敗れてしまいますから、安息日の規定は守られなくても許されます。マカベア戦争の時の体験から学んだと言われます。

 話は別ですが、ある宗教団体が旧約聖書の律法を大事にするという信条から「輸血禁止」との解釈を下したそうですが、これはユダヤ教の精神にはなじみません。命を救うことが最優先事項なのです。イスラエルでは、もちろん輸血という手段が正当な医療行為として何ら宗教上問題にもなっていません。


■安息日の備え

 

 まず安息日を迎えるまでに、いろいろの準備をしなければなりません。金曜日は大変忙しい日ですね。家をきれいにし、食事の用意をします。なにしろ安息日は労働が禁じられているからです。もちろん、体もきれいにし、清潔な服に着替えます。

 ユダヤ教の暦では、1日は日没とともに始まります。したがって、安息日は金曜日の日没とともに始まるわけです。安息日の到来は、家庭ではろうそくの点火をもって告げられます。

 そして、男性はシナゴーグ(会堂)に祈りに行きます。主婦は家庭に残って食卓を整え、男性が帰宅するのを待ちます。シナゴーグから帰ると、父親は子供たちを祝福します。家族一同が揃ったところで、家庭で安息日の夕べを迎える儀式となります。


■ろうそくについて

 

 昔、どの家も毎夜家を照らすためにろうそく(またはランプ)が点されていました。大体平均的な家は2部屋からなり、通常1つのろうそくを部屋から部屋に移動して必要な部屋を照明していました。しかし金曜日だけは2本のろうそくが使われました。それはろうそくを運ぶことが安息日のため禁じられたからです。

 8世紀までは特にろうそくへの祝祷はありませんでしたが、ユダヤ教にカライ派という分派が生まれ、安息日での明りの使用を全面的に禁じることを主張したために、タルムード派(ユダヤ教の主流派)はそれに対抗してろうそくを点し、祝祷を唱えることを制定しました。

 ろうそく点火のしきたりについて、別の説明があります。エステル記8:16の「ユダヤ人には光と喜びと楽しみと誉れがあった」に由来するというものです。ユダヤ民族抹殺を計画したペルシアの悪大臣ハマンに勝利した物語がエステル記ですが、主人公のエステルやモルデカイが救いを「光と喜び」で祝った故事から、あらゆる祝い事(安息日、祭日、結婚式等々)に、ろうそくが点されることになったそうです。

 2本用いられる理由はすでに述べましたが、まだその他の理由があります。安息日について聖書が「安息日を記憶せよ」(出エジプト記20:8)と「安息日を守れ」(申命記5:12)と2カ所でのべているからだという、聖句に結びつけた説明です。

 実際には、何世紀もの間にいろいろの慣習が各地で各家庭で生まれています。例えば、メノラーの7本の燭台に準じて7本のろうそくを点したり、あるいは家族の人数だけのろうそくを点したりします。

 安息日のろうそくを点すのは主婦の役目です。

 伝統的な説明はタルムード(シャバット項31b)にありますが、聖書学者ラシーはつぎのように注解しています。

 エデンの園においてエバが蛇に誘惑されて、禁断の木の実を食べた。こうして人類の堕落は女より始まったので、消えかかった世の光を回復するのは婦人の義務とされ、したがってろうそくの火を点すのは婦人に課せられた義務であると。

 ただし、家庭に主婦がいないとき(病気とか出産とか旅行中)、男性が代わってやります。独身の男性、女性の場合も自分で安息日のろうそくを点します。

 ユダヤ教では、通常祈り(祝祷)はその行為がなされる前に唱えられるのが定めです。たとえば、聖書を読む前に祝祷を唱え神に感謝してから読むとか、ブドウ酒を飲む前に祝祷を唱えてから飲むとか、祝福の恵みを受け取る前に祈りをささげるのです。ところが、安息日のろうそく点火は例外です。これには律法の解釈の問題がからんでいます。

 つまり、もし先にろうそく点火の祈りをしますと、その時点から安息日がやってきてしまいます。そして次に点火すると、安息日に火を焚いてはならないという律法に違反することになります。したがって、火をつけるほうを先にするわけです。

 どうも理屈っぽくなりますが、ユダヤ人の慣習の由来を知って面白くもあります。


■祈り

 

 シナゴーグで安息日を迎えるカバラット・シャバットでの礼拝の形式は、大体16世紀のイスラエルの北部の町、ツファット(神秘主義カバラーが栄えたところ)で生まれました。

 まず詩編が6つ(詩編95-99と29)が朗唱され、つづいてレハー・ドディーという有名な詩が美しいメロディーにのせて歌われます。そして詩92編と93編が朗唱されます。その後、夕べの礼拝(マアリブ)が続いて行なわれます。

 シャバットと言えば、すぐに浮かぶ歌と言えば「レハー・ドディー」でしょう。ヘブライ語で「友よ、行こう」という言葉ですが、花嫁なるシャバットを迎えに行こうという意味です。16世紀のツファットのラビ・シュロモー・アルカベッツという人が作った詩です。神秘主義の町で生まれた安息日の詩は、やがて全世界のユダヤ人の間に広まり親しまれ、いろいろなメロディーがつけられました。

 安息日を花嫁と呼ぶ習慣は、3世紀頃にさかのぼります。金曜日の夕方、日が落ちる頃、学者たちは安息日の正装をして戸外に出て「花嫁よ、来たれ」と言ったそうです(タルムード・シャバット項119a)。また、「女王なる安息日を迎えよう」と言ったとも伝えられます。それほど安息日を大切に守ったということでしょう。

 花嫁については、ラビたちの次のような解釈があります。「安息日を聖とせよ」という聖書の言葉からですが、「聖とせよ(キデッシュ)」は「結婚する」という意味もあって、「安息日を聖別して結婚せよ」と解釈したわけです。ちなみに「シャバット」はヘブライ語で女性名詞です。したがって花嫁というわけです。国を失ったユダヤ民族に、安息日を伴侶とするという思想が生まれたのでした。

 安息日は流浪の時代、ユダヤ民族の統一と存続の力となっていったことが、安息日へのこんな思い入れからも察せられます。


■安息日の夕べ 家庭での過ごし方

 

 シナゴーグから帰宅した父親を迎えて、白いクロスで覆った食卓に着きます。そして、「シャローム・アレイヘム」という天使の歌を歌います。

 昔から、天使はシナゴーグに出入りする人間に伴ってくると言い伝えられていました。タルムードは詳しくこのことを論じています(シャバット項119b)。それで、シナゴーグから伴って家庭を訪れる天使に向かって、感謝して「あなたがたに平安があるように」と歌うのだそうです。この歌もカバラー神秘主義の人たちによって作られました。

 続いて、一家の主婦をたたえる歌「エシェット・ハイル」を、箴言31:10-11を引用して歌います。

 その後、キドゥーシュという聖別の祈りを唱えます。


■キドゥーシュ

 

 食卓の前には、一家の主人に大きなワイングラスになみなみとブドウ酒が注がれて用意されています。ブドウ酒は喜びの象徴です。ですから、あふれるように注がれています。

 ブドウ酒はタルムード時代に日常生活で飲用されていましたが、いつでも飲む時には神に祝祷を唱えるのが習いでした。安息日は聖なる日ですので、安息日のブドウ酒を飲む時には特別の祈りをしました。それがキドゥーシュという形に発達したわけです。現在、ユダヤ人の祈祷書(シドゥール)に載っています。

 キドゥーシュの原形は、タルムードによると、紀元前4、5世紀の大会堂の人々(当時の指導者)によって作られたと言われています。イエス・キリストも、安息日の夕べの食卓で弟子たちと共にキドゥーシュを唱えた可能性はおおいにありますね。

 さて、具体的にキドゥーシュはどのように唱えられるかというと、まず最初に、創世記1:31-2:3(天地創造の完成と7日目の休息)が節をつけて読まれます。そしてブドウ酒を手にして祝祷をささげます。その後、キドゥーシュの後半部分は、天地創造と出エジプトを記憶して、民族として神に聖別されたことなどを述べて、神を賛美します。祝祷が終わると、全員ブドウ酒を飲みます。

 ユダヤ人の家庭に安息日の夕べに招かれますと、宗教的でない家でもこのキドゥーシュは多分聞けるでしょう。


■パンとブドウ酒

 

 ユダヤ民族の郷土イスラエルの地は、地中海沿岸に位置していますから、ブドウの特産地です。ブドウ酒に縁のあるのはイスラエル民族に限らず、ローマ・ギリシア民族も古来ブドウ酒を愛好しています。

 ところで、ユダヤ人にブドウが特別な意味を持つのは、聖書に由来します。聖書には、イスラエル民族はエジプトからイスラエルの地に移植されたブドウの木に譬えられたり、神が自分の農園で丹精こめて育てたブドウの木に譬えられています(イザヤ書5章ほか)。

 キドゥーシュでは、ブドウ酒の祝祷で「ブドウの実」を創造した神に賛美をささげていて、「ブドウ酒」をつくった神とは言っていません。それは、神が創造されたブドウから人間がブドウ酒に作り替えたからです。いわば、ワインは神と人間の共同作業の作品です。人間が参加することによって、神が始めた創造は完成する。神と人間はパートナーである、という考え方がユダヤ人にあって、ワインはその象徴というわけです。

 キドゥーシュの後、儀式として手を洗います。そして、パンの祝祷が続きます。

 ヘブライ語でパンのことをレヘムと言いますが、安息日のパンは呼び方が普通の呼び方でなく、特別の呼び方でハラーと言います。

 ハラーという語が聖書で最初に用いられたのは、レビ記24章です。

 「あなたは麦粉を取り、それで12個のハラーを焼かなければならない。……そしてそれを1列に6個ずつ2列に並べ、純金の机の上に置いて主の御前に供える」(5-6節)

 荒野を旅した民は、幕屋を張って祭壇を作っていましたが、その祭壇にハラーというパンを12個を供えたという記事です。これが安息日のパンの由来であろうと言われています。

 ハラーは聖書には、民数記15章20節に「菓子」(新共同訳では「輪形のパン」)などと訳されて出てきますが、イスラエル民族は古代、麦粉の練り粉を祭司のために取っておくように配慮していました。捧げ物として神殿に捧げ、祭司がそれを頂くわけです。

 このように、ユダヤ人の現在のしきたりもはるか古代の、聖書時代に起源を発しているのには大変驚かされますね。

 安息日のためのパンは飾り布で覆われています。ユダヤ人の伝統では、安息日は前にお話ししたように花嫁に譬えられます。ちょうど花嫁の顔を覆うヴェールが祝福の祈りが終わった後取り除かれるように、祝祷を終えるまでパンを飾り布で隠しておくのだそうです。 別の説は、ワインの祝福が先だから、ワインの祝福(キドゥーシュという)が終わるまで、パンは覆っておくのだという解釈です。

 パンの祝福のときに塩をかけますが、これについてはいろいろの説があります。一般的な解釈を紹介しましょう。

 2000年前エルサレムの神殿が滅ぼされてから、神殿での祭儀はなくなりました。その代わり、家庭やシナゴーグ(ユダヤ教会堂)で祈りや聖書の学びを中心に宗教生活を続けてきたわけですが、その中でも毎週の安息日は重要な位置を占めています。ユダヤ人の伝統で、食卓は祭壇に代わるものと見なされてきました。タルムードに「人の食卓は贖いをもたらす祭壇のごときものなり」(ベラホット55a)とあります。

 それで、塩は神殿のあった時代、祭壇に捧げられるあらゆる捧げ物に用いられていましたので、捧げ物のしきたりを記憶するために塩を用いる習慣が出来たのだと伝えられています。

 パンの祝福の後、主人は塩を振り掛け、パンをちぎるか、またはナイフで切ります。これを盆に載せて配ったり、各自の前において、1人1人大地から拾うようにパンをもらいます。それはパンは神から頂くという意味です。

 さあパンを食べることから、安息日の食事がいよいよ始まりです。


■安息日の一日

 

 ユダヤ教では安息日のみならず平日にも、祈りは1日3回あります。朝の祈りはシャハリート、午後の祈りはミンハー、夕べの祈りはマアリブと呼ばれます。それぞれの祈りについては、あとでお話します。

 安息日の朝は、食事の前にシャハリートの祈りをシナゴーグに行って捧げます。

 ユダヤ教では、礼拝の式次第が全世界共通で(と言っても、地域によって若干の差がありますが)、シドゥールと呼ばれる祈祷書に書かれています。シドゥールは、平日用、安息日用、祭日用に分かれていますので、その該当するところを開いて、礼拝に参加します。祈祷書はシナゴーグの備え付けのものを借りることができます。

 ところで、「祈り」というと、大抵の宗教には祈りがありますが、ユダヤ教の公での祈りはすべてその言葉がヘブライ文字(中にはアラム語という、ヘブライ語の親戚のような言語の句もある)で書かれ、祈祷書にびっちり印刷されています。敬虔なユダヤ教徒は、小さいときから慣れ親しんでいますから、すっかり丸暗記している人も少なくありません。

 シャハリートの祈りの部分だけで、それこそ何十頁もあります。それを、会衆の皆と一緒に唱えていきます。シナゴーグでは、通常、先唱者(ハザン)と呼ばれる役目の人が、祈りのリードをしていきます。時には、その声はオペラ歌手のようにも華麗です。

 祈祷書の内容は、聖書の詩編やトーラー(モーセ五書)、また賢者の祈りなどから組み立てられています。ですから、多少のヘブライ語の知識を持っていると、なんとなく分かる気がします。異教徒でもシナゴーグの礼拝に参加しても断わられませんので、私たちもイスラエルではシナゴーグに行くことができます。ところが、ユダヤ人の祈りの速さにはついて行けません。祈祷書のどこを読んでいるのかすぐ分からなくなります。

 繰り返している間に暗誦し尽くした祈りは、人によっては惰性にもなるでしょうし、逆に祈る人が心を込めれば心のままに自由に感情と思いが込められるように見受けられます。荘重な、命にみちた雰囲気には、大変感動します。


■朝の祈り「シャハリート」

 

 エルサレムの街で、静かな安息日の朝、敬虔なユダヤ教徒の父親が子供の手を引きながら近くのシナゴーグに歩いて行く姿が見掛けられます。すると、ああ、ここはエルサレムなんだなあと感慨がわいてきます。

 さて、花嫁に象徴される「安息日の夕べ」を送った明くる日のシナゴーグでの礼拝は、雰囲気は変わって、天地創造の神への賛歌が力強く捧げられる、といった表現がうってつけです。シャハリートの中心は、トーラーです。トーラーを授かった感謝とその朗読という最高潮に向かって、祈りと賛美が続けられるわけです。人の説教やスピーチはありません。

 礼拝はまず、アドン・オーラム(世界の主よ)の賛美で始まり、賛美がえんえんと続きます。詩編がたくさん出てきます。そして、シェマアの祈り。祈りと言うよりも、イスラエル民族の信仰告白です。「聞け、イスラエルよ、主はわれらの神、主は唯一なり」という有名な申命記6章4節の一句。

 続いて、シュモネー・エスレ(18という意味)という祈り。これは立って皆が各人でばらばらに唱えます。立って祈るので、アミダーとも呼ばれます。

 その後、祭司の祈り(ビルカット・コハニーム)、民数記6:24-26で結ばれます。これは何とモーセ時代から伝えられてきた最古の祈りだそうです。

 これらの個々の祈りについては、別の機会にゆずりましょう。

 さて、朝の礼拝のハイライトは、トーラーの巻き物が聖なる櫃から取り出されて、会堂を一巡し、その週の読む分(パラシャー)が朗読される時です。もちろん、その前後には丁重なる祝祷が数々伴っているのは言うまでもありません。トーラー朗読の後、預言書の一部が読まれますが、それをハフタラといいます。

 ところで、新約聖書のルカ福音書(4:16-19)を見ると、安息日にイエス・キリストがイザヤ書を朗読したという記事があります。まさしく、これはハフタラに相当します。

 以上の儀式は、平日のシャハリートと大体(トーラー朗読を除き)変わりませんが、安息日にはさらに祈りが追加されます。それはムサフと呼ばれます。その中で、服喪者のためのカディッシュという祈りが唱えられて、朝の礼拝は終わります。


■安息日の終わり方

 

 人々にとって精神的な憩いの日であり、宗教的には民族と安息日の結婚にも譬えられるほどですから、安息日への惜別の情を形式の上でもせつせつと表します。

 まず、平日には日没前に行なわれる夕べの祈りマアリブを、安息日には引き延ばして日没後40分たって祈ります。

 マアリブは、シェマアとアミダーの祈りが中心となります。それに先立って、神への賛美を高らかにうたいます。これから夜を迎えるに当たって、光と闇、昼と夜を分けた御方(神)の英知を荘厳にたたえるわけです。

 マアリブの祈りは、神殿の礼拝の代わりではなく、もともと寝る前に祈る祈りでしたが、どうせ夜は疲れて急いでベッドに入るだろうから、仕事の帰りにシナゴーグで祈りを先に済ませたらよいと賢者たちが決めて、1日の祈りに加えられたようです。

 安息日は聖なる日です。それから別れて、平日を迎えるわけですが、次の1週間を送る覚悟を新たにするために、マアリブのあと、ハブダラという儀式を持ちます。

 「ハブダラ」とは、ヘブライ語で「分離」という意味です。ろうそく、ワイン、香料の祝祷から成り立っています。家庭でも、シナゴーグでも行なわれます。この起源は、紀元前4、5世紀頃の大会堂の人々(つまり、当時のユダヤ教の指導者たち)によって始められたと、タルムードは伝えています。

 ハブダラのろうそくは、2本芯のろうそくを1本使います。まわりの明りは消して闇の中にろうそくの光を掲げ、主人役がワインをなみなみ注いだカップをもって祈りを捧げます。ろうそくは、通常子供に持たせます。祈りは、神の救いを賛え、次いでワインの祝祷、そして香料への祝祷を捧げます。

 香料は、安息日の豊かな恵みの象徴で、香料の入った箱をまわしてみんなで香りをかぎます。続いて、光について神に感謝を捧げます。光の祝祷は、ハブダラの祈りの特徴で、「ボレー・メオレー・ハエッシュ(火の光を創造されたお方よ)」という祈りはこの時だけです。

 ハブダラの終わりに当たって、主人がワインを飲み干します。また、男性のメンバーが回して飲みます。そして、カップの底に残ったワインで、ろうそくの火を消して、部屋の明りをつけます。

 新しい週が始まりました。みんなで「シャブア・トーブ(よき週を!)」と挨拶を交わします。最後に、預言者エリヤの歌をうたいます。これで、安息日は終わりで、あらたな創造の1日が始まります。

 この夜のことを、モッツァエー・シャバット(安息日明け)と呼びますが、静寂だったエルサレムの街もこの夜は外出する人々でことのほか活気を呈します。